あえて擁護するなら

ここ数日、食用菊のパフォーマンスが話題になっていますね。
 
実は九曜、そんな目くじら立てんでも……という立場だったりします。
確かに品がないしもったいないけど、それをやりたい/見たい人が集まって楽しんでるんだからいいんじゃないって思うのです。
 
もったいないっていうなら――例えば、ビールかけ、シャンパンファイト。
 
堀江氏も挙げていたけど、こっちもたいがいもったいない。
でも、許されているのはめでたい瞬間にやる文化だから。
 
例えば、シャンパンタワー。
 
あれって下がどうなっているか見たことがないですが、後で飲むため一滴残らず回収できるようになっているとは思えません。
そして、使われているシャンパンもきっと高級なものでしょう。
 
これも許されている。
キャバクラやホストクラブに縁がない人間でも知っている『あの界隈の文化』だから。
 
きっといいことがあったときや、大きなお金が入ったときにぱーっとやるのでしょう。
文脈的にはビールかけやシャンパンファイトと同じですね。
 
例えば、コンビニ、スーパー。
 
コンビニでは品切れを怖れてできるだけ棚を埋めようとする過剰在庫が問題になっています。
棚に品切れが目立つとそれだけで客は回れ右しますし、欲しいものが2連続でなかったらそこは品ぞろえの悪い店として認識され、その客はもうこなくなるという話もあります。
 
「たぶん廃棄だろうな。でも、品切れにはできないしな」と思いながら棚に並べることも多いのではないでしょうか。
 
そして、節分にスーパーで山積みになっている恵方巻。
あれも毎年大量廃棄で問題になっています。
 
人を楽しませる食用菊とちがって、こちらは誰も楽しませることもなくひっそり廃棄されます。
そう考えれば、こちらのほうがよっぽど悪かもしれない。
 
これも悪い意味で文化です。習慣化と言ってもいい。
だから許されている。
 
このへん金額だってすごいことになってんじゃない?
 
海外に目を向ければ――例えば、トマト祭り。
 
あれを「トマトで遊ぶな」「食べろ」と批判する人は少ないでしょう。
だって歴史ある文化だから。
 
つまるところ許されるか否かは、それが文化として根付いているかどうかのちがいだと思うんですよね。
食用菊のパフォーマンスだって批判に負けず10年もやり続ければ、シャンパンタワー同様『あの界隈の文化』として許容されるんじゃないでしょうか。
 
いや、あれが批判されているのは下品だからだっていう意見もあるようですね。
 
じゃあ、蟹はどうなの? って九曜は思うわけです。
手をベタベタにしながら殻をむしり、音を立てて食べる蟹。客観的に見て下品です。
 
でも、許されている。
文化だから。
 
何が言いたいのかというと、あのパフォーマンスを指弾するのなら、その指を等量の熱量でもって向けなくてはいけない場所がほかにもあるよってことです。
この件、無傷で非難はできないと思う。
 
と、まぁ、ディベート的に擁護の立場をとってみたけど――実際は、あれは九曜とは住む世界がちがう人間たちの文化という認識で、冷めた目で見ています。
やりたい人が自分のお金でやればいいんじゃないでしょうか。
 
あれが不運だったのは、わかりやすく「もったいない」「品がない」がくっついてきてしまったことでしょうね。