2000年前後でしょうか、テキストサイトというものが流行りました。
面白いネタをフォントをいじりながら話術巧みに語るやつ。
九曜も少し見ていましたが、あまりハマらなかったですね。長続きしませんでした。
で、あるとき、わりと人気上位のサイトの管理人さんが言っていました。
「日に万単位の閲覧者があっても、現実は何も変わらなかった」と。
ネット上で人気があっても、リアルの生活には何も影響しなかったのでしょうね。
むしろギャップが大きくなる一方で、よけいに虚しくなったのかもしれません。
実際には広告収入で決して小さくない額のお金を稼いでいた人もいたと思うし、ブームが去った後に小説家やライターとして大成した人もいたようですが。
(調べていて初めて知りましたが、ヤマグチノボル先生もそうだったとのこと)
さて、どこぞの反対派の人間も似たような苦悩(というほどのものでもないか)を抱えているのではないかと想像。
寝っ転がりながらスマホをポチポチして、YouTubeやTwitterあたりで見つけた真実(ネットde真実)を武器に推進派を言い負かした気になっても、現実には何も影響を及ぼさないわけですから。
ネット上の自分をむりやりリアルに引っ張り出してきたところで、奇異な目で見られて孤立を深めるだけでしょう。
実際に実社会でコミュニティを作った人間はどうなったか?
過激な行動に出た末に一部は逮捕され、根城にしていた施設には強制捜査が入りました。
或いは、支持されると勘違いして選挙に出て、見事玉砕しました。
こういう望む世界と現実の差がストレスとなって、ネット上の攻撃的な言動につながっているのかなと考えたりします。
九曜もわりと紙一重かもしれません。
幸いにして、いろいろと悩みつつもそれなりに『自分』があるので、避けられています。
(書いたものが本というかたちになって書店に並ぶのは、仕事の成果としては実感しやすいので)
九曜が普通の会社員……にもなれなかっただろうから、フリーターだったらそっち方向に走って、安易な自己を確立しようとしていたかもしれません。