タイトル未定

 中学三年の秋、父が一冊の学校案内を僕に手渡した。
「公親、お前はこの学校に行け」
 そして、そう言う。
 知らない学校だった。
 それもそのはず。所在地を見れば、ずいぶんと遠い場所にあった。
「いいところだと聞いている。そこならお前も『人間』になれるかもしれない」
 父は『まともな人間』といった表現ではなく、ただ単に『人間』と言った。つまり僕は未だ人間ではないらしい。
「尤も、私としてはお前が事故か何かで命を落とすか。或いは、自ら……」
 明言は避けたが、父が何を言いたいかはわかった。
「そうすれば私たちも、そして、お前自身も『かわいそうな人』でいられる」
 父は僕が道を踏み外して加害者になる前に、同情されるべき被害者になってほしいのだ。
 不慮の事故に巻き込まれた不運な通行人。
 病魔に侵された少年。
 或いは、人知れず悩みを抱え、自ら人生に終止符を打ったかわいそうな若人。
 そうやって息子を亡くした親は、世間から同情されることだろう。
「すまないな。お前がいると母さんが苦しむんだ」
 さすがに父さんも我が子に言うべきことではないと思ったのか、最後には申し訳なさそうにそう言った。
 要するに、僕はこの家を追い出されたのだ。
 
 そうして一年半後の四月。
 父の望みも虚しく、この僕――赤沢公親は無事に桜ノ塚高校で二年に上がった。
 本日の授業が終わり、テキスト類や筆記用具を制鞄に放り込んで帰り支度をする。
「ねぇ、野添さん、昨日発売のこれ、もう見た?」
「いいえ、まだ見てません」
 僕の耳にそんな声が飛び込んできた。
 ここで特筆すべきは野添と呼ばれ、丁寧な言葉で返事をしたほうだろう。
 野添瑞希
 明るい茶色をした長い髪が目を引く、深窓の令嬢然とした女子生徒だ。周囲の女子よりも群を抜いて容姿が端麗で、おそらく範囲を学校全体に広げても彼女に比肩しうる同性はいないだろう。そんな美少女だ。
「あたし見たよー。セラがナチュラブとコラボするんでしょ」
「そうそう。やっぱセンスいいよねー」
 別の女の子たちが寄ってきて、最初の女子が持ち出したファッション雑誌をみんなで覗き込む。
 野添瑞希は人気ものだ。彼女の周りには自然と人が集まってくる。輪の中心は常に彼女だ。
「出たら絶対ほしいんだけど、似合うかどうか自信がなくて」
「わかる! 自分が着ると、何かちがうってなるのよね」
 ナチュラブは十代の少女をターゲットにしたブランド『ナチュラル・ラブ』のこと。セラは確か、高校生モデルの名前だったはずだ。話を総合すると、セラがデザインした服がナチュラル・ラブから発売される、ということのようだ。
(僕も変に詳しくなったな)
 思わず苦笑する。
「この前遊びにいったとき、野添さんの服すっごいかわいかったよね」
「そうそう! あれってどこのブランド?」
「よくわかりません。あまりそういうのは気にしてなくて、いいなと思ったのを買ってるだけなので」
 と、野添。
「えー。それであれだけばっちりキマるってすごくない?」
「じゃあさ、普段は――」
 そうしてやがて野添のプライベートへの質問に変わっていく。
 去年も僕は彼女と同じクラスで、似たような場面を見ている。みんな野添に興味津々なのだ。きっと一年後も同じような光景が繰り広げられるのだろう。四月の恒例行事となりそうだ。
 荷物をまとめ終えた僕は、制鞄を持って立ち上がった。
 まだまだおしゃべりが終わりそうにない彼女たちの横を通り、教室の出入り口へと向かう。
 と、その途中、野添が僕を見たような気がして、そちらに目を向ける――が、別にそんなことはなく、彼女は周りの女子たちと楽しそうに話をしていた。どうやら気のせいだったらしい。
 僕は教室を出た。
 
 僕ひとりしかいない家に帰り、本を読んで過ごす。
 気がつけば時計の針は二十時を指していて、少し腹が空いていた。残念ながら、食べるものがろくになく、夕食を求めて近くのコンビニに行くことにする。
 そうして辿り着いたそこで。
 僕が店の中に入ろうとしたタイミングで、ちょうど女性が出てきた。
 ジャージ姿だ。フードを被り、色素の薄い長い髪は横から前へと流している。ボトムはスキニーで、すらりとした足のシルエットがきれいだった。そのボトムと袖の横にはラインが入っている。ギャル系ジャージファッションといった感じだ。
 彼女は目的のものを買ったからか、上機嫌で店から出てきたが、僕の姿を見るやはっとして、それからすっと目を逸らした。
 浮かれている姿を見られて恥ずかしかったのかもしれない――と、最初は思った。
 だけど、彼女とすれちがってから気づいた。
「ああ、野添か」
「え……」
 僕はそのまま通り過ぎるつもりだった。彼女は想像していた以上に大きは反応を示したので、思わず振り返ってしまった。彼女もこちらを見ていた。
「……」
「……」
 僕たちは見つめ合う。
「野添?」
「い、いえ、人ちがいです」
 どうしたのだろうと思い、呼びかけると、彼女は慌てたようにそう言い、ぱたぱたと小走りに駆けていったのだった。